平成最後ですね

何だかサーバーの問題なのか・・・更新成功しているはずだけど、HPの更新が上手くUP出来ない・・・。

 

平成って、皆さんはどんな思い出がありますかね?

僕は、平成がどうだったとか、あまり特別な思いは正直なくて、令和でも別に特別な思いはありません(笑)

自分の人生に、平成とか令和とか、あまり関係ないですからね・・・。

 

まあ、なんてゆーか・・・

思い出にちょっと浸って見ましょうか(笑)

 

 

  • 人生の中で今でも「悔しいと思う事」

今でも夢に見る事があります。

それは、中学最後のバスケの大会。

 

僕は小学校の時、鹿沼東小でキャプテン。

地区大会ではだいたい優勝していました。

最後の大会、MVPの取りました。

 

がしかし、中学に入ると、最下位争いをするくらいに最弱チームに・・・(笑)

そんな中、中学最後の試合は、
小学校の時、最大のライバルだった小学校のメンバーがそのまま中学でも同じメンバーだった北中。


これに勝てば3位。

前半、20点差をつけて勝っていました。

 

僕は、キャプテンでありながら、ハーフタイムに

「今日は楽勝で勝てるな!」

なんて発言をしたのです。

 

後半、相手の3点シュートが面白いように決まりまくり・・・

1点差だったか、2点差だったか・・・

負けました。

 

今でも思い出すと悔しい思い出です。

高校は宇都宮工業高校の建築科です。

スポーツ推薦で入学しました。

まあ、ここから、挫折というか・・・

大好きなバスケを、自分にとってのバスケは生活の一部のような存在だったのですが・・・

嫌いになって行きます。

 

理由は・・・

身長です。

僕は当時、多分身長156cm~158cmくらいだったと思います。

 

田臥とかみたいにスペシャルに巧いなら、良かったのかも知れませんが、そこまでではありませんでしたので、身長的にいつもコンビを組まされるのは高校からバスケを始めたばかりの人達。

コートを往復しながらシュートする練習では、耐力に自信があったので、普通に走っていたら、

『他の奴よりお前は必死な顔してない!チンタラやってるような顔にしか見えない』

とか言われたり、練習は10人の試合形式で、他の人はほとんど筋トレメイン。


何てつまらないんだって感じでした。

やめると思い立った、決定的だったのは、「全員坊主にしろ」です。

 

まあ、そんなんで、1年持たずに退部願いを出し、

『お前は推薦だろう!』

と言われましたが、

「坊主にしたくないので」

と言ったら、「ふざけるな」と言われ・・・

とっさに出たのが「大学に行くために勉強に専念したいから」

でした(笑)

 

  • 1級建築士を目指す事ばかり考えていた学生時代

まあ、そんな感じで高校時代は、ひたすら設計製図の課題に没頭していました。

大学は、やっぱり人生の中でも大きな4年間でしたよね。

高校よりも思い出深い。

2年までは、毎日課題・宿題やっているような感じでした。

 

 

  • 妻との出逢い

まあ、そんな学生時代がありましたが・・・

やっぱり、一番は妻との出逢いでしょう。

 

人生の半分までは行かないけれど、2005年から一緒なわけですからね(笑)

親同士が知り合いというか・・・

妻は中学生とかの頃とかも、神長家の実家に行ったりしていたみたいで・・・

一度も会った事なかったですけどね(笑)

 

まあ、そんなわけで「お見合い」をしたわけですが、僕は飾ったりしない、
ありのままを知ってもらいたいと思い・・・

ピアス5個つけて指輪にブレスレットにネックレス・・・

シルバーアクセのフル装備(笑)

そして、好きなものの話と言えば、ヴィジュアル系の音楽と仮面ライダーの話。

よく付き合ってくれましたよね(笑)

 

 

  • 双子の誕生

そして、結婚して、苦労して双子が産まれ・・・

 

今では5歳になったばかり。
※写真は去年の冬なので4歳ですけど。



今、学生頃に思い描いていた人生と大きく違うのは、やっぱり・・・

一級建築士の資格を取得出来ていない事。

 

なんてゆ~か・・・

今、温熱ソフトなども含めて、沢山勉強しているのは、1級建築士を若いうちに取得出来なかった事もある意味良かったのかもしれない。

一度26歳の時かな?

チャンスはあったのですが・・・

その時取っていたら、うぬぼれて、勉強なんて続けてこなかったかもしれません。

 

令和元年・・・。

やはり目標は資格だな。

 

そして、Q1.0住宅を多くの人に知ってもらうのと、出来る限り多くのQ1.0住宅を誕生させていきたいと思う。

2019年04月30日