法事で思いを馳せる
本日は亡き祖父(神長力造)の13回目の法事でした。
結婚式は3/10日でしたが、1月の下旬だったか・・・
祖父が緊急入院となり、もって3日くらいと宣告されたのですが、僕(孫)の結婚式に絶対出るんだと頑張り、車いすで特別許可をもらって参加。結局4月まで生きました。
おじいちゃんとの思い出と言えば・・・
鹿沼市で開催される「花市」での出来事。
あれは小学生低学年だったか・・・
実家から15歩くらい歩くともう花市の中。それも「ダルマ」の露店先。
確か、僕はその露店の人に「ば~か、ば~か」ってバカにしていたのですかね?多分。
記憶として残っているのは、デカいダルマが入っていた段ボールに入れられて、外から蹴ったりされるという・・・
いわゆる「暴行」を多分、自業自得で受けていた所、外から祖父の声が・・・。
多分僕は「助けて~」と叫んだはず。
天井の蓋が開けられたら「おじいちゃん登場」で、助けてくれたというね。
おじいちゃんも、まさか孫が段ボールに入れられているとは思わなかったでしょうに(笑)
まあ、そんな苦い思い出もありましたが、お坊さんの言葉でちょっと記憶に残ったものがあります。
それは・・・
「知識というのは、ただ持っていても意味がない。知識を使って知恵になる」
「相手を思いやる心、慈悲を持つという事」
何でも家づくりに結びつけたくなりますが・・・
これは、僕が普段行っている家づくりに近いものがあるなと、感じました。
住宅設計というのは、建築士・設計士の作品ではない。
作品なら模型でも造ってろ。
作品には、相手がいない。
自分だけのマスター〇ーションと同じです。
知恵が盛り込まれていない設計は、設計とは言わないよ。
慈悲が無ければ、他人のお金使って、自己満足に浸るだけですよ。
住宅の設計というのは、その家族の未来も設計する事です。
住宅というのは「衣・食・住」、全てを司る所です。
住宅の設計というのは、設計の中で、一番簡単でもあるけど、一番難しい。
基準法などに適合させるのは一番簡単。
住まい手の家族、その子孫まで、満足いく家を設計しなくてはいけない責任がある。
これが一番難しい。
店舗の設計とか、大きい設計をやれば、設計料だって高いし、仕事は住宅に較べたら簡単。
でも、あえて住宅をやるのは、やっぱり自分の中では使命だと思っているからだよね。
自分の手の届く範囲になるけど、幸せな家に住まう家族の笑顔が何より活力になる。
「家」ってやっぱり特別じゃないですか?
そんな特別なものだからこそ、住まい手に寄り添った設計をしたいと強く思う。
ラファエル設計はいい事ばっかり言ってんな~って思う人は、どうぞご勝手にと思いますが、基本的に僕はブログでも、自分の人格というか、性格というか・・・
隠してるつもりはないですからね?(笑)
友人には、ブログで感じる印象よりも柔らかいというか、優しいよね!
って言われますが(^^;
一応言っておきますが、「騙されないようにしなくちゃ」とか思っている人の家は設計しませんので(笑)
だってさ、こっちは真剣に住まい手の事考えているのに、
「本当かな」とか・・・
「騙されているんじゃないかな」
なんて思っていたら、その人は僕とは違う方向向いてますし、
そうやって思う、疑問をネットや他の人に回答を求める訳でしょ?
じゃあさ、その人に設計してもらいなよ!
ってなるのが本音でございます(笑)
僕はその住まい手に取って、必要な存在ではないって事だと思います。
まあ、占い師とかもそうなんですけどね。
具体的にいうと、「Q1.0住宅って、必要かな?予算厳しくて。」
みたいな事を僕以外に質問していたら、同じ土俵で設計している人以外へ質問すること自体おかしいよね?(笑)
それって、僕の設計を否定している事ですから。
ネットやハウスメーカーの人が、「不要」って言ったら、考えが揺れるの?
ハウスメーカーの営業も、ネットの人間も、「素人」でしよ?って思うんだけどね。
まあ、そんなわけで、お坊さんの話がちょっと心に残り、色んな思いが溢れてきました。
ちなみに、現在着ている喪服は、祖父の御下がりですが、ベストフィットです(笑)