東日本大震災の日

あの日、僕は仕事をさぼって・・・
というか、足利に行った帰りに、佐野アウトレットで予約しておいたル・クルーゼの食器を取りに行っていた時の事。

帰ろうと車に乗ろうとしたら、鉄骨の立体駐車場が凄まじく揺れまくっていて、車のゆりかごの様に揺れていた。

何かヤバいと急いで車に乗り込んで、大通りに出ると、それでも揺れているのが分かる。

イオンの前を通ると、大量の人達が一気にダッシュで外に出てきていた。

高速道路も通行止め。

当時、ガラケーでスマホはまだなかったので、情報がよく得られなかった。

電話もまったく通じず、結局夜まで佐野で待機してて、高速がいつまでたっても通行止め解除されないから下道で帰ったのですが、栃木市なんかは信号は消えていて、ただ事ではない事を思いつつ帰宅したら、自宅マンションも真っ暗で色んなものが散乱してて、かなり心配して待っていた妻がいた

帰ったのは21時くらいだっただろうか。

ガスだけ使えた感じ。

 

それからというもの、仕事では、震災復旧の設計や、応急危険度判定をする為に派遣されたり・・・

大地震の脅威を痛感させられる仕事ばかりを担当になった。

一番つらかったのは、とある小学校。

県内で最も被害の多かった建物の1つ。

これを、ほぼメインで1人で担当にさせられ、描いた図面の枚数も過去最高だった。

合計155枚。

 

途中、ヘルプで一人入ってもらったのですが、もう毎日深夜0時を超えてましたね。

そんな被害の状況をお見せ致しましょう。

一番ヤバい、「せん断ひび割れ」というものを受けまくった感じです。

当時、生徒さんたちはどれだけ怖かっただろうかと思う・・・。

 

 


この施設は、まず、国の補助金を申請する為の調査、報告書、積算、文科省の人達の調査立会などを経て、

耐震補強と大規模改修工事、震災復旧工事などの設計を行ったわけですが、この部分をほぼ一人で担当にされたわけです。

こんな業務は初体験でしたが、耐震補強などの仕事はずっとやっていたので、その延長で考えました。

その他、他の市町村の体育館の天井がほぼすべて落下したとかの調査などに明け暮れましね・・・。

 

東日本大震災は、多くの被害をもたらしましたが、どちらかというと、地震による建物被害で倒壊するようなものよりも、津波による被害が大きかったのが特徴と言えます。

近年、熊本地震などによる大地震が起きてますが、住宅に対して、耐震性を求める考えはさほど大きくない。

地震というのは、確率的なものもあり、いわば、車の保険で車両保険に入るかどうかを悩むのと同じくらいに、耐震性に予算を組むかどうか悩んでいるイメージがあります。

耐震等級3や耐震等級3相当などなど・・・

耐震性を示すものはいくつかありますが、ラファエル設計は、それをクリアすればいいとか思ってません。

そのへんの考えはこちらをごらんください↓

『地震に強い家』みんなの勘違い』

 

メディア含め、この3月11日前後しか、地震に対する意識のTVなどを放送しませんが、地震大国日本の家づくりで、地震に対する設計をしっかり考えないのはナンセンスです。

基準法をクリアできる耐震性とかではなく、耐震等級3以上の家づくりをするべきだと思います。


2018年03月11日