少し前に、SNSで投稿された内容に、少し疑問を感じたというか、腹が立ったというか・・・
そんな内容があったので、ちょっと紹介します。
↓
これに対する批判的投稿が、SNSでされていました。
「アルファベットブロック体の書き方」
ってやつです。
これね、投稿者とそこに書かれているコメントを抜粋するとこんな感じ。
- ナニコレ?学校は何を教えたいのか
- ここに気を使ってる場合じゃない
- びっくり!くだらないー。こりゃ、みんな英語苦手って言うよね
- こんな事で減点されたら嫌いになりますよね
- 「英語」と「英語お習字」の授業は分けるべきですね。。。
というか、日本の英語教育ヤバいですね - 手書きする時代じゃないのに、そこに精度を求められても…ですよね
- こんなことでしか生徒を採点できないって、相当教育する側のレベルが低いですね
- え!?わたしひとつも正しくかける気がしない
- 私も9割は減点される�そして筆記体は読めるけど書けない
- なんじゃこりゃ?
- あほちゃう、学校� これは、バカバカしすぎますね。
- 大人になると必要ない精密さですよね。そして受験にも必要ない
- コンピューターではない訳ですから。これ、アメリカ人にやってもらいたいです
- 字のきれいなアメリカ人に会ったことがありません
はい、とりあえず、こんな感じのコメントのやり取りがずらり・・・。
僕はこのようにコメントしました。
『ブロック体』というフォントを教えているからそういった指導になるのでは?
すると、こう返信がありました。
『英語の授業以外でやってください』
また僕はコメントしました。
「国語とかでやるのが適切ということですか?」
再度、返信がきました。
「何の授業が適切かわかりませんが、英語の授業でこの精密さを目指さなくて良いかと思いました。」
はい・・・
こんな感じでした。
この投稿者にも、他のコメント残している方にも、、僕はもの凄い違和感を持ちました。
皆さん、「英語」という授業はこういうものだ!
という固定概念が強いのですね。
勉強になりました。
こんな指導は意味がある、無いという議論になるのですね。
大人になってから重要とか、受験に必要な知識だけ教えればよいという考えの人もいる事も勉強になりました。
なんか、この投稿・・・
やっぱり(-ω-;)ウーン
って思う。
コメントで残したように、「フォント」についての授業の内容なのであります。
投稿者とその他の人達は「英語」という授業でこれらをやる事に「アホか!?」という感情を抱いたのだと思いますが・・・
投稿者は、適切な授業は分からないと言っているのですよ(笑)
授業って、将来必要なものとか、受験に必要なものを教えたり学んだりする場では無いと僕は思っています。
こういった授業をやると、英語を嫌いなるという意見の人は、完全に視野が狭すぎると思います。僕は。
じゃあ、何の授業でやるのがいいの!?
その答えを自分で見つけられないのに、批判をする。
外野がただ文句言っているだけ。
英語の授業でやるのがみんな批判てきなら、フォントという概念はデザインに係わる部分でもあるので、「美術」だと僕は思うけど・・・
こういった授業でフォント(字体)に興味をもち、デザインの道に進む人もいるかもしれない。
または・・・
字体というものを見極められる力が備わるかもしれない。
無限の可能性をもつ子どもたちの可能性を潰そうとするのは、大人なんだなと改めて思う。
僕は、中学生の時とか、勉強大嫌いだったので、こんな事覚えて将来絶対に必要ない!みたいな考えの塊人間でした。
特に古文が大嫌いだったのですが・・・
「てふてふ」が昔は蝶々とか、覚える意味があるのか!?
みたいな事思ってました。
これはあくまでも持論でしかありませんが・・・
勉強を好きになったり、学ぼうとする姿勢の向上って・・・
何にでも「興味」を持つことなんだと思うのです。
「知りたい」
って思う事なのだと思うのです。
一級建築士の受験勉強を14年も続けられたのって・・・
周りからみたらバカとか頭悪いとか思うはずだけど・・・
それらの勉強で得た知識量というのは、自分の財産になっている。
それは疑いようのない事実なのです。
もう受験当初は、試験に出ない範囲は捨て問題とか、勉強しなくても合格できるという概念を学校からも教えられるので、その通りやって、まったく分からない分野があっても、建築士試験の中では1点とか2点の話。
資格試験の正誤と、実務での正誤は必ずしもイコールではない部分がある。
英語のフォントの話に戻るけど・・・
この授業の意味っていうのは、同じAを書くにしても、「字体」が違えば、間違いにもなるという事を学んでいるのだと僕は思う。
正しいもの、間違いとなるもの・・・
それは、英語を話せるようになるとか、文法が出来るようになるとか、そういった次元の話ではないのですよ。
多分、こういった批判をする人は、英語をペラペラしゃべれるという人とかなんだと思う。
例えば、漢字の書き順とかあるけど、それが間違えていても何の問題もない。
それなのに、書き順なんて、何で学ばなきゃいけないんだ?国語の授業で!
今時、スマホで文章打つのが殆どだから、漢字なんて真剣に描けるようにならなくたって問題ないよね?
漢字の書き順なんて精度求めてたら、国語嫌いになるわ~~~
・・・
みたいな批判と同じですよね?結局は。
ちょっと話が変るけど・・・
箸の持ち方!!
僕は箸の持ち方が↓左下の人がたまにいるけど、
「うわ~~」
って思ってしまいます。
流石に大人で↑右下の人はいないと思うけど・・・
初めて彼女とデートしたとして、こんな持ち方でご飯食べたら、その後を考えるわ・・・。
例えば、このような箸の持ち方をしても、受験には関係ないし、大人になっても怒られる訳ではないと思うけど、恥ずかしいよね。
これは、将来必要ないとか、受験に関係ないとか・・・
「学ぶ」
という事は、そういった事ではないのだと、改めて思う。
仕事が出来る人とか、勉強が出来る人って、やっぱりさ、
「疑問」
をことごとく潰していく人なんだと思う。
そして、仕事だったり、何かを学ぶ事が楽しいのだと僕は思うのです。
学校で学ぶ事の内容に対して、意味がないとか、くだらないとか・・・
批判している人自身が、批判だけして最善の改善方法を提案出来ないんだから、意味ないよね?
くだらないとか言っている人自身が、そんな事を書きこんでいる行動こそ、くだらないよね。
僕も、最近政治批判しているので、同じ事を自分自身に言われる行動をとってしまっている所があるかもしれないけど・・・
僕は義務教育で一切学ばない建築の道に進んでいる。
そんな僕が非常に今思う事。
物理とか大嫌いで、まったく将来意味が無いと思っていた授業だけど・・・
非常に重要な授業だった事が、今、よくわかっていますし、痛烈に勉強してこなかった事を後悔しています。
まあ、兎に角・・・
将来意味がある勉強だったかどうかという話は、結果論だと思います。